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香山美子 おきゃくさま

ユーモアという楽しい体験をしながら、
たいせつなことを学べる詩です。
ユーモアを感じるセンスを育てることも、
たいせつなのです。
  
おきゃくさま
             
          香山 美子

おきゃくさまは
エヘン
ドアのまえで
エヘン
それからすまして
ベルをおす

おきゃくさまは
どうも
いすにかけて
どうも
それから ぼうやに
おみやげだ

おきゃくさまは
なるほど
お茶をのんで
なるほど
それから とけいみて
いずれまた

おきゃくさまは
では
くつをはいて
では
それから タクシーで
いっちゃった

香山美子『おはなしゆびさん』 国土社


【 誰の目から語っているか 】

この詩の話者(語り手)は、
〈ぼうや〉と呼ばれている
「ぼく」です。
まだ幼いであろう
「ぼく」の目から見た、
〈おきゃくさま〉と家の人との、
応対の様子を語っている詩です。
いろんなところに
クスリと笑ってしまうような要素があります。

尾形亀之助さんの詩
『ある来訪者への接待』と、
比べて読むことを薦めています。

まずは、
〈おきゃくさま〉の、
言っていること・していることを
拾い上げてみましょう。
〈エヘン〉
〈どうも〉
〈ぼうやに おみやげだ〉
〈なるほど〉
〈いずれまた〉
〈では〉
まあ、とりとめのない、
言うならばどうでもいいことだらけです。
でも、ここで注意!
これらは、どれもこれも、
〈おきゃくさま〉の
言ったこと・したことではなく、
〈ぼうや〉の
聞いたことば・見た様子
なのです。
詩や物語を読むときに大事にしたいのは、
誰の目から語っているかという、
視点・視覚の問題です。

おそらく大人にとっては、
大事な関係をつなぐための
来訪なのでしょう。
わざわざ家に来るくらいですから、
話には
重要な内容があったかもしれません。
でも、
内容についていけない
〈ぼうや〉には、
こんなふうな
断片的な記憶しか残らなかったのでしょう。
はっきりしているのは、
〈おみやげ〉
だけかも知れません。
状況を理解できない、
「ぼく」の幼さそのものを、
「まあ、しょうがないかな」
と、クスリと笑うことができます。
このときの読者は
〈ぼうや〉を、
心理的に、
やや突き放した状態でながめています。

もう一方で、
〈ぼうや〉
の目と心に重なって、
つまり読者が
〈ぼうや〉
と同じ気持ちになって、
〈おきゃくさま〉
のことを見て語ることもできます。
そうなると、
話者も幼さゆえに、
つまり、分からないわけですから、
どんなに大事な話だったかどうか、
どうでもよい話だったのかどうか、
読者の我々には、
うかがい知ることはできません。
ただ目に映るのは、
いかにも形式的な、
うわべにすぎない、
とりとめのない、
なんのために来たのか分からない、
大人の世界、来訪の様子です。
「おとなって、へんなの」と、
クスリと笑うことができます。

またもう一方で、
まるっきり客観的に読むと、
我が家の客人に対して、
この詩のように、
ぞんざいな応対をついついしてしまう
自分自身のありがちな姿を
鏡に映し出されたような思いで、
クスリと苦笑いしながら、
ふりかえることもできます。

「勝手耳」という言い方があります。
なにごとも
自分の都合のいいようにしか聞けない
それが「勝手耳」(かってみみ)です。
なにごとも自己中心にとらえてしまうと、
誤りのもと。
いろいろな立場や角度から
捉える訓練が大切だろうと思います。
自戒を込めてこの詩を読んでいます。
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テーマ : 詩・ポエム
ジャンル : 小説・文学

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山之口獏 歯車


詩では、ひとまとまりを「連」と言います。
この詩は、「連」に分けられていません。
その代わり、
最後の一行が
最初の一行に戻るような
読み方を仕向けています。
堂々めぐりをしながら、
くり返し自分に問い返してみましょう。


歯車
             
        山之口 貘

靴にありついて
ほっとしたかとおもうと
ずぼんがぼろになっているのだ
ずぼんにありついて
ほっとしたかとおもうと
上衣がぼろぼろになっているのだ
上衣にありついて
ほっとしたかとおもうと
もとに戻ってまた
ぼろ靴をひきずって
靴を探し廻っているのだ              
     
山之口貘『山之口貘全詩集』第1巻 思潮社

【いつの間にやら 
ジングルベルが鳴り 
こうしちゃおれぬと・・・ 】

只、慌てふためいて、
ろくなことは何もないまま一年が終わり、
そしてまた同じように次の一年が始まるという、
さえない男のブルースです。
堂々巡りして過ぎる悲しさと、
そんな貧しい境遇から、
どうしても抜け出せないもどかしさ。
山之口貘もたいそう貧乏だったとか・・・。

「歯車」
と名づけられたこの詩は、
実物の歯車がそうであるように、
最後の一行が、
最初の一行に再び還ってきます。
そう、
歯車の環のように堂々巡りをするのです。
「歯車」によく喩えられるのは
「労働者」。
チャップリンの
『モダンタイムス』という映画がありました。
ネジを締めながら、
どんどん歯車の中に
取り込まれていくシーンが印象的でした。

〈ぼろ靴をひきずって
靴を探し廻っているのだ〉

〈靴にありついて
ほっとしたかとおもうと
ずぼんがぼろになっているのだ〉

言うなれば、きりのない世界です。

〈ずぼんにありついて
ほっとしたかとおもうと
上衣がぼろぼろになっているのだ〉

この環から一歩も抜けることのできない、
いつまでも、ここからは抜け出せない。
今という時代も深刻な不況で、
職探しさえ難しい。
小林多喜二の「蟹工船」が
再びベストセラーになっています。

シバというブルースの歌い手がいます。
日本人です。
いつもは絵描きさんです。
これまでに「青い空の日」など、
数枚のレコードを出しています。
ギターとハープ(ハーモニカ)で、
アフリカから連れてこられた
奴隷たちの苦しみが生み出した音楽を
味わい深く聴かせています。

学生の頃、
彼のコンサートを企画したことがあります。
無謀としか言いようがありません。
観客を集めきれず、
400名ほどのホールに50名ほど・・・
友だちに借金しても、
飛行機代とわずかなギャラを払うのがせいいっぱいで、
ホテルどころか、
自分の三畳一間のアパート、
せんべい布団にむりやり泊まってもらいました。

孤高のフォークシンガーと呼ばれる、
高田渡の曲の中に、
~~ギャラより高い交通費、
大きい袋は交通費、
小さい袋は出演料、
おもしろそうに泳いでる。~~
というのがあります。
たしか、
「屋根より高い鯉のぼり」のメロディでした。
ためしに、口ずさんでみてください。

まさに、
このまんまの世界で、
随分とシバさんに、
失礼な思いをさせてしまったと後悔しています。

それでも、
くさる素振りもなく、
我々のとりとめのない話を聞いて、
いっしょにお酒を飲んでくださいました。
そのふところの深さに感謝しながらも、
申し訳ないという気持ちで一杯でした。
もちろんその後、
赤字・穴を埋めるためのバイトがたいへんでした。
今も残るほろ苦い記憶です。

この詩を読むと、
~~いつの間にやらジングルベルがなり、
こうしちゃおれぬと職探し~~
というシバさんの歌の一節が聞こえます。
この歌詞も、
堂々巡りをするしかない
庶民の生活を表現しています。
高田渡さんが、
この「歯車」という詩に曲を付けて歌ったように、
シバさんもまた、
詩人、山之口貘のファンでした。

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井上ひさし なのだソング

 詩を楽しまんとするならば、
 なんでもありでいいならば、
 少し遊んでよいならば、
 そりゃあ子どもがいちばんさ。
 いろんな味つけ楽しむさ。
 ヨーヨー、イエーイ! 

     なのだソング              
 

          井上 ひさし

雄々しくネコは生きるのだ
尾をふるのはもうやめなのだ
失敗おそれてならぬのだ
尻尾を振ってはならぬのだ
女々しくあってはならぬのだ
お目々を高く上げるのだ
凛とネコは暮すのだ
リンと鳴る鈴は外すのだ
獅子を手本に進むのだ
シッシと追われちゃならぬのだ
お恵みなんぞは受けぬのだ
腕組みをしてそっぽ向くのだ
サンマのひらきがなんなのだ
サンマばかりがマンマじゃないのだ
のだのだのだともそうなのだ
それは断然そうなのだ
雄々しくネコは生きるのだ     
ひとりでネコはいきるのだ         
激しくネコは生きるのだ          
堂々ネコは生きるのだ           
きりりとネコはいきるのだ         
なんとかかんとか生きるのだ        
どうやらこうやら生きるのだ        
しょうこりもなく生きるのだ        
出たとこ勝負で生きるのだ         
ちゃっかりぬけぬけ生きるのだ       
破れかぶれで生きるのだ          
いけしゃあしゃあと生きるのだ       
めったやたらに生きるのだ         
決して死んではならぬのだ         
のだのだのだともそうなのだ        
それは断然そうなのだ

 井上 ひさし 「戯曲 十一ぴきのネコ」劇中歌

 【戒め・励まし・教え・諭し】

『 むずかしいことをやさしく
  やさしいことをふかく
  ふかいことをゆかいに
  ゆかいなことをまじめに
  書くこと 』

氏の座右の銘です。

わたしも、あやかって
いつもこれを心掛けようとしています。
たどり着けない、はるかな境地でしょうが・・・・

ハカセ
トラヒゲ
ドン・ガバチョ
サンデー先生
ダンディー
NHKの「ひょっこりひょうたんじま」を見て育った世代のひとりとして、
彼の著作や戯曲には、いつも注目していました。
この詩は、「戯曲 十一ぴきのネコ」の劇中歌だということです。

まあこんな風に、
はげましたい相手を
とにかくあの手この手で
伸ばすことでしょう。
この詩で、
話者はくりかえしネコに対して
人間に言うかのように言っています。

でも、
読者は
なんだか自分に言われているように感じます。
ユーモアたっぷりなので、
以外と素直に受け入れられるのですね。
「草食系男子」「肉食系女子」などと、
世の中全体が様変わりしてきているようですが、
この詩のようにぐいぐいリードされると、
生き方まで力強くなっていきそうな気分になる、
戒め・励まし・教え・諭しではないかなと思います。

〈なのだソング〉ですから
言葉のリズムも大切にされています。
どの行も七五の音でできています。
私は残念ながらこの戯曲の舞台を見ていませんが、
きっと楽しい曲がつけられたことだろうなと想像しています。

小学高学年や中学生だったら、
音楽の授業とかで、
ノリノリのラップにしてもおもしろいでしょうね。
なにせ「はやり」の音楽ですから、ヨー、
子どもは遊びが大好きですから、ヨー、
はげしいビートでいきまっしょ、ヨー、
のだのだのだのだそうなのだ、ヨー、
トシのせいか、どうもうまくいきません。
失礼しました。

テーマ : 詩・ポエム
ジャンル : 小説・文学

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まど・みちお おなら


誰でもほめられると嬉しいものです。
〈おなら〉だっていっしょでしょう。



おなら

         まど・みちお

おならは えらい

でてきた とき
きちんと
あいさつ する

こんにちは でもあり
さようなら でもある
あいさつを・・・

せかいじゅうの
どこの だれにでも
わかる ことばで・・・

えらい
まったく えらい
           
 まど・みちお「しゃっくりうた」理論社

【 ああ、すっきり 】

一連の(おならは えらい)―― 
ずいぶんと思い切った語り出しです。
こんなにきっぱりと言われると、
なぜかしら拍手を贈りたくなります。
(えらい)
(まったく えらい)
五連も、同じ言葉を発展させてくり返します、
首尾照応の詩です。
つまり強調、
力が入ってます、りきんでます。
あ、あぶない・・・

では、何故(おなら)が
そんなに〈えらい〉と言うのか。
二連から四連にかけてその理由が語られます。
結論に至る説明と申しましょうか、
論理の道筋をていねいに読んでいきましょう。

二連、
語り手のとらえ方によると
(おなら)は〈あいさつ〉です。
だから、(えらい)と言っているのです。
 (きちんと)あいさつをしましょう。
 (あいさつ)ができる子どもに育てましょう。
 (あいさつ)は心と心をつなぎます。
標語にもなるくらいですから、
もう、まったく正しい在り方・生き方です。
(ゆめゆめ、こっそりと、・・・してはなりません)

三連、
(あいさつ)の意味合いが語られます。
(こんにちは でもあり)、
同時に(さよなら でもある)
(あいさつ)と言っています。
一石二鳥です、なんということでしょう。
一度に二つの(あいさつ)を使いこなすなんて、
まさに不便さの解放
「オールマイティ!」
ただしこの連の終わり方〈・・・〉に
とりあえず気を付けておきましょう。
まど・みちおさんはユーモアの達人ですから・・・
まど・みちおさんの詩を読むときには、
「言外の意味を汲め」という命題がありますからね。

四連、
(あいさつ)という言語の
分かり易さが説かれます。
(せかいじゅうの)
(どこの)
(だれにでも)
(わかる)
(あいさつの)
(ことば)
ここで、
〈おなら〉は言語であると断じています。
加えて、
それも非常に分かりやすい
世界言語であるということを教えます。
ですから、われわれ読者も
すっきりと納得できる気持ちになってきました。
もういつでもどこでも、
これさえ知っていれば大丈夫だと安心しています。
もう一つ、
〈おなら〉は
〈きちんと〉声に出すことが何より尊ばれます。
(つまり反対に、
シズカニオトモナク
というのがどうやらダメらしいのです)
しっかりと(ことば)を伝えることが
なにより肝心なのだとおっしゃるわけです。
なるほど、
まさに(あいさつ)のお手本と言えるでしょう。
おっと、忘れてはなりません、
この連の終わり方に、
おっ、〈・・・〉ですか ――
また〈・・・〉を付けちゃいますか ――
なにかしらモヤモヤとしたものが残ります、
ああ早くすっきりとしたい。 
余談ですが、
世界言語として考案されたのがエスペラント語。
世を席巻した時代が、日本にもありました。
残念なことに忘れ去られてしまいましたが、
大正から昭和の初期にかけて、
知識人たちのマイ・ブームだったらしいのです。
宮崎県出身の画家
「瑛九」(えいきゅう)の前衛的な点描画、
「全体も部分もどこもが全て宇宙であり世界である」と、
彼は、やはりこれもまた世界言語である「絵」で表します。
彼がたどり着いた哲学・思想です。
「瑛九」という名前は、
エスペラント語から来ているそうです。
彼の弟子、
虹色グラデーションの画家「靉嘔」(あいおう)
その名も、エスペラント語に由来すると聞きました。

五連、首尾照応のことを、
もう一度おさえておきましょう。
〈えらい〉
〈まったく えらい〉
もう、文句のつけようもありません、
とにかく(えらい)のです。
こうまできっぱりと言われてしまうと、
納得せざるを得ないのです。
ただ・・・
わたしの気持ちの中で、
まだ後を引いているのが、
やっぱり、三連と四連の終わりの〈・・・〉
いったいなんなのでしょう! 
ああ、早くすっきりしたい ―― 
いつかエレベーターの中で、
試してみようっと。
でも、かなり勇気が必要だと思う
今の自分はまだまだ未熟者です。

そうそう、
鹿児島出身の落語家が、
地元の温泉の落語会で言っていました。
ちょっとした、
人生のヒントになるかも知れません。
紹介しておきます。

(かごっま弁・・
ひょうじゅんご)

「あんよ、おやよ、       
あのね、わたしはね、
屁で音楽がでくったっど。   
おならで音楽を演奏できるのですよ。
 まあいっとっ、聴いちょれね。 
すこしのあいだ、聴いてみてくださいね。
 ド・・            
ド・・
レ・・・           
レ・・・
ごめん ――         
ごめんなさい ――
ミが、            
ミが、
出ったあよ。」        
出てしまいましたよ。

(えらい)
このネタも(えらい)
三△亭歌之介さん、
今後も下ネタで、
ますますきばってくいやんせ。
「じゃっどん、おまんさあ、
きばいすぎはよかなかど。
どしれんこちなっち、
いうもんさお。
てげてげが、
いっばんやっど。」

テーマ : 詩・ポエム
ジャンル : 小説・文学

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有馬敲  かもつれっしゃ

詩の授業に臨むときは、
あんまり難しく考えずに取り組むことも大事です。
なにごともそうでしょうが、
「臨機応変」「当意即妙」を極意としましょう。
子ども達の意見に
「なるほど、なるほど・・」と相槌を打つだけの授業。
ときたま、
「なんでそう思ったの・・」
この程度を尋ねるだけの授業もありでしょう。
そういう授業ができる「詩」を見つけることの方が、
むしろ大事だったりします。

かもつれっしゃ

           有馬 敲

がちゃん がちゃん がちゃん
 がちゃん がちゃん がちゃん
  がちゃああん  がちゃああん

がったん ごっとん がったん
 ごっとん がったん ごっとん
  がったん ごっとん がったん

ごっと がった ごっと がった
 ごっと がった ごっと がった
  ごっと がった ごと がた

がた ごと がた ごと がた ごと
 がた ごと がた こと かた こと

かた こと かた ことかたこと
 かたことかたことかたことかたこと
  かたことかたことことことことこと

有馬 敲『ありがとう』 理論社
【 オノマトペだけの詩は、むしろ読みやすい 】

声喩(せいゆ・・音声による喩え)を使った詩です。
日本語には多くの声喩があります。
詩人の宗左近氏は生前に、
「オノマトペイヤーによって、
日本人の民族の耳が鍛えられている。」
と、よく語っていらっしゃいました。
この詩の始まりが
〈がちゃん がちゃああん〉のくり返しです。
重い貨物や家畜・木材・石炭などを積みこんで、
貨物列車が何両も何両も連結される。
そういう様子を表しているように聞こえます。
連結の音が響き合い、音も伸びていく感じもします。
                                    
貨物列車は次に、
〈がったん ごっとん〉と重そうに動き出します。
重い車両をたくさん動かすのですから、
すさまじいエネルギーが必要です。
〈ん〉があるのとないのとで、
力の入りようがちがう気がします。

行が次につながるとき、一字分下がります。
一両目につながる二両目、そして三両目・・・
つながっている姿や、力が伝わるさまを、
詩の形で見せているようにも見えます。

やがて、〈ごっと がった ごっと〉、
そして〈ごと がた〉と、
小さな〈っ〉が無くなり、
音が変化すると、
次第に音から重みがとれていく感じがします。

そのあと、だんだん音から濁点も抜かれます。
〈こと かた こと〉、
なんだか軽い響きに聞こえてきます。
さらに、一字分の空きが無くなり、
〈かたことかたこと〉
〈ことこと〉と変化し、くり返され・・・
小さな動力で軽快に走っていく、
貨物列車のイメージを感じる終連になっています、

オノマトペだけの詩ですが、
〈かもつれっしゃ〉
のすがたが、ものの見事に表現されています。
いやいや、
オノマトペだからこそ
直感的に感じられるとも言いたくなります。
ちょっとした音の変化や
間の取り方に気をつけながら音読すると、
楽しいでしょうね。
また、
この詩を真似して
オノマトペの詩を創作する。
そういう学習もいいんじゃないでしょうか。

さて・・・・、
お隣の熊本県のお話、
熊本市と人吉市の間を結ぶSLが
「いさぶろう、しんぺい号」
という名前で復活し、盛り上がっています。
鉄道ファンの少年達(昔の少年だったひとも)が、
列車に乗ったり
目を輝かせて写真を撮ったりしています。
「鉄子さん」と呼ばれる、
女性の鉄道ファンも急増しているとか・・・。
いいですね。

私こと某少年は、
鹿児島県北部の、
今は廃線になった山野線の、
とある駅まで、歩いて30秒の家で育ちました。
集落名も「停車場」、なんかベタですね。
(どうやら、この子は生まれも育ちもベタなようです。)
某少年にとって、
ちいさな駅前の広場はかっこうの遊び場でした。
夏の早朝、ラジオ体操。
眠たい目をこすりながら駅の広場に集まった、
昭和の時代の、あのころの少年少女たち、
(やたらと数が多かった)

かくれんぼをした石炭倉庫の
石炭のにおいが好きでした。
駅前食堂のラーメンも大好きでした。
駅長さんや駅員さんも好きでした。
官舎に転居してくる子ども(転校生ですね)と、
よく遊びました。
キハ型のディーゼル車が好きでした。
そして、それよりもずっと、
「貴婦人」と呼ばれる、
C57型蒸気機関車が好きでした。
なによりも好きだったのはSLの最後部。
車掌さんや交替の運転士さんが乗っていた
最後部のデッキ付き車両です。
「カッコイイナア 
ボク オオキクナッタラ コレニノルンダ」
某少年は、
あのよれよれの青い制服と帽子に憧れていました。
あのデッキにさっそうと乗っている自分の姿を想像し、
うっとりとするのでした。

実を言うと、あれから数十年、
とうに少年でなくなった今も、ずっと憧れています。
あそこで、あの場所で、
淹れたてのモカ・マタリを飲みたい!

かた こと かた ことかたこと
      かたことかたことかたことかたこと・・・・・

テーマ : 詩・ポエム
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