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阪田寛夫 ぼくは川

 ぼくは川            


            阪田 寛夫 

じわじわひろがり
背をのばし
土と砂とをうるおして
くねって うねって ほとばしり
とまれと言っても もうとまらない
ぼくは川
真っ赤な月にのたうったり
砂漠のなかに渇いたり
それでも雲の影うかべ
さかなのうろこを光らせて
あたらしい日へほとばしる
あたらしい日へほとばしる

【話者は誰か】

この稿で3回目になります。
「話者はだれか」という問いでした。

・作者と話者は違う存在である
・話者は落語の噺家のように語る
・この詩で、話者は〈ぼく〉として顔を出した
・〈ぼく〉は、〈ぼくは川〉と言っている
・では、この〈ぼく〉とは何者だろう
前回まで話の流れです。

今回は、〈ぼく〉のことを考えましょう。
話者は、この詩で〈ぼく〉と名のります。
〈ぼく〉とは、男の子・少年の呼称です。
この〈ぼく〉が、自身を〈ぼくは川〉と言っています。
では、どのような〈川〉なのだろうか。
読者は、一行目から注意深く読み直します。
すると、
前半にあたる一行目から五行目まで、
あるイメージの繰り返しになっていることに気付くでしょう。

川が生まれ
広がり、大地をうるおしていく
くねってうねっていく動的な流れ
ほとばしり、広がっていく、止められない流れ
くりかえされる〈川〉の
生命力あふれるイメージは、
少年〈ぼく〉の
生命力あふれるイメージと響きあいます。
心も体もエネルギーがあふれ出す・・・
力強く生きようとする少年の命の姿。
〈川〉と〈ぼく〉とイメージが重なります。
〈ぼく〉は、まさしく〈川〉であり
〈川〉は、まさしく〈ぼく〉なのです。

詩の後半、
七行目から十行目にかけて読むとき
あなたには、
どのようなイメージが浮かんできますか?
そう、
〈ぼく〉であると同時に〈川〉でもある・・・
重なった、
二重の、
複合した
前半からのイメージを
引き継いで読んでいるのではないでしょうか。

〈川〉は、
火星にも痕跡をとどめています。
火星の氷河に生命を探す研究があります。
砂漠に入るとき、
〈川〉は眼前から姿を消してしまいます。
けれど、地下水脈となって流れを止めません。
砂漠の民は、
「カナート」と呼ぶ深い井戸を掘って
馬や駱駝に与えることを知っていました。
所によっては、
泉となって湧き出し、
豊かなオアシス都市が生まれました。

こうやって、
遥かな空間のイメージと
悠久の時間のイメージを
身にまといながら、
ふと、
眼前の〈川〉に戻り
流れに映る雲の影や
きらりと翻るさかなのうろこの輝きを
〈川〉の現実の姿(=相)を再び語ります。

こうして、夢のようなイメージの世界と
現実世界との重なりが生まれるのです。
現実の相と想像(非現実の相)の重なりですから、
AかBかと線を引いて分けるものでなく
常にお互いのイメージを行き来し、
重なったり離れたりします。
どちらということもなくどちらでもある・・・
二つの相がゆらいでいる姿です。
ゆらぎながら
力強く
留まることなく
〈あたらしい日へほとばしる〉姿です。

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ジャンル : 小説・文学

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阪田寛夫 ぼくは川

  ぼくは川            


            阪田 寛夫 

じわじわひろがり
背をのばし
土と砂とをうるおして
くねって うねって ほとばしり
とまれと言っても もうとまらない
ぼくは川
真っ赤な月にのたうったり
砂漠のなかに渇いたり
それでも雲の影うかべ
さかなのうろこを光らせて
あたらしい日へほとばしる
あたらしい日へほとばしる

【話者は誰か】

「わたし」という話者がいつもいて、
ときどきだれかの目と心になって、
つまり、
だれかになって
表現する。
少しややこしいのですが、
視点の問題を抜きにして
表現の分析は始まりません。

この詩には、
〈ぼく〉という人物が顔を出します。
話者の「わたし」は、
この〈ぼく〉の目と心で語るのです。
作者によって視点人物〈ぼく〉が設定されました。

読者である我々は、
視点人物〈ぼく〉の見た・感じた世界を
〈ぼく〉が語った言葉を聞いています。
話者の「わたし」は、
言うなれば、
高座における落語家みたいな存在でしょう。
今日の演目で、
視点人物である〈ぼく〉の
経験談をネタに話しているのです。

〈ぼく〉は六行目、
この詩の中央部分にあたる場所で、
〈ぼくは川〉と言います。
前の五行と後ろに続く六行に挟まれる形です。

初めてこの詩を読むとき
〈じわじわひろがり〉
〈背をのばし〉・・・・
その正体は不明です。
「何だろう」と思いながら
読み進むしかありません。

ですが、二回目に読むとき、
その正体は分かっています。
〈じわじわひろがる〉のは、〈ぼく〉だ。
―ーー
〈とまれと言っても もうとまらない〉のは、〈ぼく〉だ。
なぜなら、〈ぼくは川〉だからだ。
こういう具合に違いが生じます。
初読と再読の違いです。

たとえば、〈ぼくは川〉を
一行目に持ってくるとどうでしょう。
良く分かるので、
このような違いは生まれません。
その代り、
受ける感動は小さくなるでしょう。

ちょうど、なぞなぞを出すようにして、
正体を考えさせ、
まんなかで答えを示し、
その先の行からは、
〈川〉である〈ぼく〉のイメージを
これでもかこれでもかと話す。
畳み掛けるように話す〈ぼく〉です。

でも、〈ぼくは川〉と言っている
この〈ぼく〉の正体を、
もっとつきとめたくなりますよね。

次回にまた。





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阪田寛夫 ぼくは川 

   ぼくは川            


            阪田 寛夫 

じわじわひろがり
背をのばし
土と砂とをうるおして
くねって うねって ほとばしり
とまれと言っても もうとまらない
ぼくは川
真っ赤な月にのたうったり
砂漠のなかに渇いたり
それでも雲の影うかべ
さかなのうろこを光らせて
あたらしい日へほとばしる
あたらしい日へほとばしる

【だれが語っているか】
7月からささやかな詩塾を始めました。
「林竜一郎少年詩塾」
先日亡くなられた西郷竹彦先生。
西郷文芸学の理論を学んできました。
かけがえのない師を失ってから後、
自分にできることは何かを考えました。
そういう事情です。

1回目のテーマは、
「誰が語っているか」
という、「視点の問題」にしました。
詩に限らず、
あらゆる文章表現には
「話者」の存在があります。
日記でも作文でもそう、
ロックや演歌の歌詞でもそう、
俳句や短歌もそう、
法律や宗教の文章でも、やはりそうです。
表現の本質だと言ってよいでしょう。

阪田寛夫さんが作者である詩
「ぼくは川」は、
かつて、教科書の教材になっていましたので、
覚えていらっしゃる方も多いでしょう。

では、この詩を使ってテーマを追ってみます。
「話者について考えましょう」
ということです。
まず、メモを用意していただいて、
「どんな話者がこの詩を語っているか」
自分の考えを書きとめてみましょう。
次に、話し合いです。
それぞれの考えを、
3~4人で話し合いましょう。

この詩には「ぼく」という話者がいます。
作者の阪田寛夫さんとは違うと、
とにかく、ひとまず分けて考えることにする。
分析に必要な「癖」を付けてください。

じわじわひろがり
背をのばし
土と砂とをうるおして
くねって うねって ほとばしり
とまれと言っても もうとまらない
ぼくは
真っ赤な月にのたうったり
砂漠のなかに渇いたり
それでも雲の影うかべ
さかなのうろこを光らせて
あたらしい日へほとばしる
あたらしい日へほとばしる

詩のちょうど中央に顔を出しています。(傍線部分)
話者〈ぼく〉はどういう人物でしょう。
「どんな話者が・・・」という問題です。 

    

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阪田寛夫 わかれのことば

言葉の達人である詩人は、
しばしば言葉で遊んでいます。
同じ土俵にのって読者もたのしく遊びましょう。
クイズにしてみたり、
カード遊びにしてみたり、
創作してみたり・・・
ことばと友だちになることがいちばんです。

わかれのことば

           阪田 寛夫

にほんじんなら      さよなら
あめりかじんなら     ぐっばい
ほうちょうやさんなら   では
せとものやさんなら    おさらば
まほうびんやさんなら  {    ①     }
はいしゃさんなら     はいちゃ
ふたごなら        バイ
よつごなら       {    ②     }
ハチなら         バイバイバイ
ぶたなら         トンヅラ
かばなら         あばよ
かなぶんなら       くそくらえ
ソレントしちょうさんなら{    ③     }
めいきょくきっさなら  {    ④     }
しちめんちょうなら    ごめん
しつれんしたゆうれいなら しつれい
おおまたのコンドルなら  またこんど
ひとくいトラなら    {    ⑤     }
サイなら         さいなら

      『まどさんとさかたさんのことばあそび』(小峰書店)

《問題》
本文中の{ ① ~ ⑤ }に,
これだったらぴったりだなあ。
これだったら面白いなあ。
と思う言葉を、次の《 》の中から選びましょう。

《 おとと・いこい バイバイ どうもう じゃあ かえれ 》

【 なるほど、だからピッタリなんだ。 】

詩の紹介を問題形式にしています、
今回は難問かも知れません。
どうしても分からないときは、
近くにいる「おやじ」の皆さんに尋ねて下さい。
きっと的確なヒントを下さいますよ。

さて、今回は某元少年が、
「おやじ」のみなさんになりかわって、
ヒントというか、考え方の紹介をしてみます。

まず、
題名にあるように
〈わかれのことば〉であること。
これは、ぜったいにはずせない条件です。

つぎに、
ダジャレになっているところの
共通点を見つけましょう。
・〈サイなら〉〈さいなら〉
 もっともベタなパターン。
・〈あめりかじんなら〉〈ぐっばい〉
 外国のことばで言いかえるパターン。
・〈では〉+〈ほうちょう〉=でばぼうちょう
 足し算的パターン。
・〈せとものや〉なので〈おさら〉
 ちょいとわけありのパターン。
・〈ふたご〉で〈バイ=倍〉だから〈よつご〉で・・
 わるのり的パターン。
・〈かえれソレ~ントへ、・・・よ~〉と、
 読者の常識を問うパターン。

どうですか、
ひとくちに『おやじギャグ』と言って
寒がられているのですが、
ダジャレもなかなかすてたものではありませんね。

〈めいきょくきっさなら〉の
〈 ④ 〉のところなど、
「おみごと、うまい、さすが、整いました!」
と、思わずうなってしまいます。
なんというすてきなダジャレでしょう。
「おやじ」も
なかなかのものだと思いませんか?

解答 (① じゃあ)
    (② バイバイ)
    (③ かえれ)
    (④ おとと・いこい)
    (⑤ どうもう)

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村野四郎 虹いろの魚

虹いろの魚            

村野 四郎 

ことしも夏が来たら
また母の里の田舎へいこう
大きい麦わら帽子をかむり
ひぐらしの鳴く森かげをとおって
あの川へ
あの魚をとりにいこう

なんという魚なのか
その名はしらない
はらも ひれも きれいな虹いろ
わたしの思い出のなかを
いつも ゆらゆらおよいでいた魚

ことしも夏が来たら
また ひとりで取りにいこう
あの川へ
あの虹いろの夢の魚を

    『少年文学代表選集第六巻』光文社

【 川底に沈む橋こえて・・・ 】
鹿児島に「財部」という、
なんとなくお金持ちになれそうな町があります。
山深い、宮崎との県境の町です。
あのかわいいキャンピングカー
「てんとむし」を作っている
ちいさな工場(こうば)があります。
母の故郷で、
夏休みに必ず訪れた場所です。

「大川原峡」と呼ばれる、美しい渓谷があります。
ドリカムの「晴れたらいいね」の一節を聴くたびに、
祖母の家の近くをゴーゴーと流れる谷川と、
流れに沈む橋と、
渡れない子、
「ヤッセンボ」な自分を思い出します。
そこを渡ると、
夢のようにきれいな虹のかかる
大きな滝が見られると
兄から聞いていたのに、
あの日、ついに、
夢は果たせなかったのです。

この詩が語る
〈あの川〉の
〈あの虹いろの魚〉
きっとすごいのでしょうね。
今も
〈あの虹色の魚〉がいるのでしょうか? 
どうか、いてほしい! 
 思いはふくらみ
〈わたし〉を応援したくなります。

〈虹〉も
〈夢〉も
いわゆる
「ありそうでなさそうなもの」
の代表です。
〈思い出〉だってそう。
現実と非現実の間(あわい)にあります。

これらの言葉自体が持つ、
二重のイメージを使って、
現実とも非現実ともとれる世界を
構築している詩です。

心の中には、
色々な記憶や思い出があります。
どんなものであっても
すべてが、
人生を豊かに彩ってくれる
「無くしてはならないもの」
だろうと思います。


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