
新美南吉 天国
あかちゃんにとって、
おかあさんのせなかは天国です。
それはおかあさんにとっても、
幸せいっぱいのせなかです。
おかあさんにも、
同じように天国であると読んでみましょう。
母と子の愛情をしみじみと感じる詩です。
天国
新美南吉
おかあさんたちは、
みんな一つの天国をもっています。
どのおかあさんも
どのおかあさんも、もっています。
それはやさしい背中です。
どのおかあさんの背中でも、
あかちゃんが眠ったことがありました。
背中はあっちこっちにゆれました。
子どもたちは
おかあさんの背中を
ほんとの天国だとおもっていました。
おかあさんたちは、
みんな一つの天国をもっています。
新美南吉『新美南吉全集』第6巻 牧書店
【 ひびき合うすてきな関係 】
この詩で、何度も何度もくり返されているのは、
〈子どもたち〉にとって、
〈おかあさんの背中〉が〈天国〉だということです。
〈やさしい背中〉で、やすらかに眠る。
おかあさんの体温を感じながら
息づかいを感じながら、
ゆりかごのようにおかあさんの体の動きを感じていられる、
安心して身をまかせきっていられる場所。
すやすやと眠れる背中。
〈おかあさんの〉
〈やさしい背中〉は、
この詩が語るように、
〈子どもたち〉にとっての〈天国〉なのです。
くり返しによって、
〈やさしい背中〉の
やさしくあたたかいイメージが強調され
心に強くのこるのです。
ひびき合う関係性をとらえるという見方があります。
もの・ことを、人間どうしを、イメージなども、
相関させて見ようとする、ものの見方・考え方です。
ものごとの関係に、一方的なものは無い。
常にひびきあっているものをとらえる力、見方。
いつも双方向性のものとして捉えましょうということです。
そう考える力がついてきたときに、
この詩と出会うと、
自分が幸せであるということは、
つまり、うらがえすと、
相手もまた幸せであるという読み方ができるようになります。
すると、この〈背中〉は、
おかあさんにとっても〈天国〉だということになります。
あかちゃんが幸せであればあるほど、
おかあさんも、同じように深く幸せを感じているのです。
ひびき合うすてきな母と子の関係が表現されています。
読めば読むほどに、
心があったかくなってくる詩です。
こんな詩を読んだり学んだりして育つか、
それとも、知らないまま育つか・・・・。
取り立てて問題にしなくてもいいことかも知れませんが、
やっぱり、成長の過程で
こんな素敵な詩にふれてほしい。
出会っていてほしいと願いたくなります。
そうして、できることなら、
心のどこかに、
そっとしまっておいてほしいと願います。
芽が出るか出ないかは別にして、
おとな=成長を見守るもの として
種だけはまいておきたいと思います。
絵本や物語と同じように
詩にも「適齢期」があるような気がします。
この詩は、
思春期を前にした十歳前後の子どもたちに、
ぜひ伝えたいと思います。
まだまだ子どもですが、
ちょっと背伸びすればおとなの仲間に入れます。
心も体も、どっちつかずの不安定な頃。
不安定だからこそ、どの時期よりも多感。
そんなときだからこそ、
この詩をぜひ、
どうぞ召し上がれ!
おかあさんのせなかは天国です。
それはおかあさんにとっても、
幸せいっぱいのせなかです。
おかあさんにも、
同じように天国であると読んでみましょう。
母と子の愛情をしみじみと感じる詩です。
天国
新美南吉
おかあさんたちは、
みんな一つの天国をもっています。
どのおかあさんも
どのおかあさんも、もっています。
それはやさしい背中です。
どのおかあさんの背中でも、
あかちゃんが眠ったことがありました。
背中はあっちこっちにゆれました。
子どもたちは
おかあさんの背中を
ほんとの天国だとおもっていました。
おかあさんたちは、
みんな一つの天国をもっています。
新美南吉『新美南吉全集』第6巻 牧書店
【 ひびき合うすてきな関係 】
この詩で、何度も何度もくり返されているのは、
〈子どもたち〉にとって、
〈おかあさんの背中〉が〈天国〉だということです。
〈やさしい背中〉で、やすらかに眠る。
おかあさんの体温を感じながら
息づかいを感じながら、
ゆりかごのようにおかあさんの体の動きを感じていられる、
安心して身をまかせきっていられる場所。
すやすやと眠れる背中。
〈おかあさんの〉
〈やさしい背中〉は、
この詩が語るように、
〈子どもたち〉にとっての〈天国〉なのです。
くり返しによって、
〈やさしい背中〉の
やさしくあたたかいイメージが強調され
心に強くのこるのです。
ひびき合う関係性をとらえるという見方があります。
もの・ことを、人間どうしを、イメージなども、
相関させて見ようとする、ものの見方・考え方です。
ものごとの関係に、一方的なものは無い。
常にひびきあっているものをとらえる力、見方。
いつも双方向性のものとして捉えましょうということです。
そう考える力がついてきたときに、
この詩と出会うと、
自分が幸せであるということは、
つまり、うらがえすと、
相手もまた幸せであるという読み方ができるようになります。
すると、この〈背中〉は、
おかあさんにとっても〈天国〉だということになります。
あかちゃんが幸せであればあるほど、
おかあさんも、同じように深く幸せを感じているのです。
ひびき合うすてきな母と子の関係が表現されています。
読めば読むほどに、
心があったかくなってくる詩です。
こんな詩を読んだり学んだりして育つか、
それとも、知らないまま育つか・・・・。
取り立てて問題にしなくてもいいことかも知れませんが、
やっぱり、成長の過程で
こんな素敵な詩にふれてほしい。
出会っていてほしいと願いたくなります。
そうして、できることなら、
心のどこかに、
そっとしまっておいてほしいと願います。
芽が出るか出ないかは別にして、
おとな=成長を見守るもの として
種だけはまいておきたいと思います。
絵本や物語と同じように
詩にも「適齢期」があるような気がします。
この詩は、
思春期を前にした十歳前後の子どもたちに、
ぜひ伝えたいと思います。
まだまだ子どもですが、
ちょっと背伸びすればおとなの仲間に入れます。
心も体も、どっちつかずの不安定な頃。
不安定だからこそ、どの時期よりも多感。
そんなときだからこそ、
この詩をぜひ、
どうぞ召し上がれ!
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